のれんの向こうがわバックナンバー


 その五

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「熱い思いが伝承されるとき」
 午後5時20分……檜舞台商店街を通り抜け、町並み保存地区へ向かう。今日は勝山あげての一大イベント、「けんかだんじり」の祭り日だ。昼間は子どもを乗せてお宮を中心にだんじりを引き、夜は二日間に渡って夜中まで「けんか」が行われる。だんじりをぶつけ合い、文字通り「けんか」をさせる祭りだ。本来は、出会い頭にぶつけ合ったり、横道から不意打ちをついたり、町のいたるところで「けんか」が行われる命がけの祭だったらしい。現在ではだんじりは九台に増え、決められた場所で真正面からぶつかり合う形になったらしい……。

 それにしても、いつになく町が閑散として見える。町の数カ所にだんじりの詰め所があり、はっぴを着た男達がたむろしているのを除いては、人もあまりいない。祭といえば出店が立ち並び、商店もこぞって祭向け商品を店先に並べ、音楽や看板が街中を賑わす……そんな祭風景に慣れ親しんできた私には、不思議でならない光景だった。
 かろうじて数軒の出店を見かけたが、中心舞台となる町並み保存地区に入ると、いつも町を彩っているのれんさえも見あたらない。お店というお店は閉まっていて「本日は勝手ながら休業させて頂きます」と張り紙がしてある。にもかかわらず、町全体がそわそわした空気に包まれていて、嵐の前の静けさのような静寂が私を期待感でいっぱいにした。

 夕暮れも迫り、チャントコチャントコという太鼓と鐘の音に、オイサーオイサーと威勢の良いかけ声があちこちから聞こえ始めた。元若連、上若連、城若連……、町内ごとに独自のはっぴに身を包んた男達が脇目もふらずだんじりを引き練り歩く。
 町役場前広場……。数台のだんじりが集まり、独特の太鼓と鐘をけん制し合うようにひときわ大きくたたく。乗りの良い拍子に、まさに血が騒ぐ……!数時間前の静けさとうって変わって、どこから集まってきたのか、通りは老若男女、カメラを持った観光客で埋め尽くされた。通りの両方向から1台づつだんじりがやってきて、一定距離をあけてにらみあう。チャントコチャントコ、オイサーオイサー!音とかけ声は次第に高まり、絶妙のタイミングで思い切りぶつけ合う。1トンを越えるだんじりを2〜30人の男達が一丸になってぶつかる瞬間の「ガツン!」と太く響く音といったら爽快だ。ぶつかればいさぎよく後ろへ下がり、何度もこれを繰り返す。中心に立つ行司のような役割もいるが、勝ち負けを審判するわけではない。「ここはなー、地元(町内)じゃけん負けれんのんじゃ!」観戦しているおじさんが力んで言う。そのくせ終わっても、勝ったも負けたも言わない。心なしか満足げに見えただけ。勝敗は、勢い、タイミング、凄み……、町の人には分かるらしい。しかも、それぞれの中で。町中が興奮に沸き、観客もいっしょになってオイサーオイサーのかけ声で溢れる。これが延々と町の数カ所で行われ、祭は佳境へと達していくのだ。

 この盛り上がりはいったい何なのだろうと思う。だんじりには男盛りの連中から茶髪の若者、中にはかなりの高齢者の姿も見られた。祭は毎年10月19日に行われ、曜日もまちまちだ。しかし、田舎を離れ、都会や海外にいても帰って来るという。学校も休みだ。また、練習もリハーサルもない。あれだけ独特で早いリズムの太鼓や鐘も教えたりしない。勝山の子ならみんなたたけるというのだ。年々盛り上がりを見せ、若い女の子達は隣町からもやってきては歓声をあげる。大の大人が祭となれば仕事も忘れ、数週間前から盛り上がる。そして当日はねじりはちまきに地下足袋はいて、若い者には負けられないとさっそうとだんじりに乗り込み、勝敗もつけないのに正月を過ぎるまで祭の話題に花が咲く……。こんな大人達の姿を目を輝かせながら見つめる子ども達も、数十年後、祭の話に花を咲かせているにちがいない。


2000年 12月 4日



 その四

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「音と空間に酔いしれて」
 町並み保存地区の北の端に、ひときわどっしりとした貫禄をみせているのがここ「(株)辻本店(つじ・ほんてん)」。創業文化元年(1804)、約200年の歴史を刻む「御前酒(ごぜんしゅ)」の酒蔵だ。美酒の甘い薫りに誘われて、のれんをくぐってみることにした。蔵元の奥にたたずむ庭園を通り抜け案内されたのは、30cmはあろうかと思われる漆喰の鎧戸の土蔵。扉の奥の格子戸を開けると、隠れ家のようにひっそりと、モダンで小粋な空間が広がった。いにしえの面影をそのまま残した重厚なこの蔵は、趣の部屋として再生されていた。深く幾重にも歴史を重ねた黒い梁に、梁と同じ年代の飴色の壁板や柱の栗皮色のコントラストがおもしろい。古材と新材の色の違いに、手を入れられた時とその想いが刻まれているようだった。
 壁面にびっしりと並ぶCDにレコード、オーディオの数々……。ジャズとクラシックの音が、匂いが、目に映る……そんな表現がぴったりくるほど、体中がたまらなく心地よかった。小さな格子窓からさしこむ光はセピア色、部屋の中央にはシャープなカットのどっしりとした長テーブル。新旧がひとつとなって、時の流れが止まっているようであり、いにしえの時がそのままここに生きているようでいて、今はいつの時代だったか……と、ふと考えてしまう。振り返ると、優雅に「時」を見つめている2台の蓄音機があった。深い呼吸をしながらじっと出番を待っているようだった。

 1922〜28年にかけて、たった100台の蓄音機「グラモフォンHMV203型」が製造された。そのうち日本へ渡ってきたのが5台、その中の1台が私の目の前にある。そんな稀少なグラモフォンのふたを惜しみなく開き、SP版のレコードを乗せ、針をつけてハンドルを回す。その作業をしなやかにこなす蔵元主である辻さんの横顔がなんとも静かでダンディーだった。回転するSPレコードにそっと針が乗せられると、扉の中のスピーカーからプツプツと針の音が聞こえ始めた。流れてきた曲はバッハのアンダンテ、P・カザルスのセロ独奏。悲しげなセロの音がハートに深く深く染みこんでくる。目を閉じれば、すぐそこで演奏されているような臨場感……。天井の高い小さな部屋で、グランドピアノを前に演奏するタキシード姿のカザルスがはっきりと見える。すぐそこに、しかもモノクロで。スピーカーの響き、少しほこりっぽい匂い、モノクロの映像……。聴いているのは耳ではない、受け止めているのは音ではない……。溢れてくる涙は一体……?今ここで、この私が、時も空間も感覚も越えて「何か」と感動の対面をしている。

 「どんなに高級で貴重なものでも、大事にしまっておいたりしません。ちゃんと身近で使うんです」そう言う辻さんには、その「何か」を肌身にまといながら生きている気品を感じた。「伝統も残したり、保存していくものではなく、日常そのものだと思います」そう続ける辻さんから、本当に大切なものは、日常から遠ざけて飾っておくことではなく、歴史も伝統も文化も、今ここに生活の中で活きているからこそ輝く……、そんなことを感じた。「何か」とは、“すべてのものは、凝縮されて今ここにあるという感覚”なのかもしれない。そしてその感覚が自然にそなわっている姿こそが、触れる者を魅了する……。この勝山の町にもそんな空気が流れているような気がする。


2000年 11月 1日




 その参

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「ひのき草木染織工房」
 町並み保存地区を車で走り抜けたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは色とりどりの「のれん」だった。モダンなデザインが古い建物の重みをいっそう引き立ててい た。
 風に揺れるのれんが「おいで、おいで」と手招きしているようで、妙に心惹かれ胸が躍った。「こののれんを作っている人に会いたい」素直な気持ちにまかせて、訪ねてみることにした。

 こののれんを作る加納さんの「ひのき草木染織工房」は、町並み保存地区にある。工房の格子戸をくぐると、色鮮やかな染め物の小物が土間と黒くすすけた梁に映えて美しい。「草木染めなのにこんなに鮮やか」、それが第一印象だった。
 奥の作業場からさり気なく出てきたのが加納容子さん。話しかけると、親しみやすい笑顔で答えてくれた。

 「天然の染料だけでも、染め方、色止めの仕方次第で違ってきます。多くの人が『草木染め』はくすんでグレーがかった色調だと思っているけれど、これ以上明るくならないように気をつけなければいけないこともあるほど。微妙な色合いを楽しむこともありますが、私ははっきりした色が好き」。作品の、はつらつとして明るい色調と小粋なデザイン、そしてどこか懐かしく人の手のぬくもりを感じさせる温かさは、加納さんの人柄をそのまま映し出しているようだった。
 「私はまるで作家らしくないんです。自分の作品を作って並べて売ることはほとんどやらない。着物を染織りしてきたけれど、それもその方の個性や人柄、好みに合わせて作ります。『私のためにある着物よね』着る方がそうおっしゃるのが何よりの私の喜びで……。のれんも自分の生まれ育った町の、幼い頃からずっと知っている方たちのものだから、どんどん作れました。のれんの注文を受けるのは、その人に会って話をして、家に伺ったり写真を送ってもらったりしてから。それから織り上げて染めます」。

 「のれん」に魅せられて、多くの人が工房を訪れるそうだが、ハンカチ、ショールのような小物、作家仲間の陶器などは展示されていても、お土産に出来るようなのれんが店内に置かれていないのはそういう訳だ。
たしかに加納さんと話していると、「作家」さんというイメージが飛んでしまう。作品も人との関わりで作り、町おこしも仲間と共にやる。とにかく「人が好き」なのが どんどん伝わってくるのだ。

 「物は人が使ってこそ活きてきます。生活の中で親しみながら使える物がいい」。美術関係者に勧められても、展覧会、コンクールなどには結局出品できないでいるという。
「町づくりも、自分たちのために自分たちが主役でやるんです。ゆっくりでいいから、自然の流れに沿って、楽しいことをみんなと共に」。加納さんの、物づくりと町づくりへの熱い思いに、私の胸は再び躍った。伝統も文化も、日常の中で人と人の関わり合い、喜び合いを通して、自然な流れで作り伝えられていくものなのだろう。そうやって伝えらえるものには、心の底が静かに「こんな町いいな、こんなところ住んでみたいな」そう感じるんだなと。


2000年 10月 6日



 その弐

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「のれんの向こうがわ」
 国道から出雲街道へ入ると、連子格子に白壁の商家、悠々とした酒蔵が軒を連ねる……。ここは勝山「町並み保存地区」。個性豊かなのれんに彩られた、情緒ある町並みに思わず目を奪わてしまう。もともと古民家や古い町並みに惹かれる私にとって、瓦も格子も土壁も美しく保たれている昔ながらの風景とまたひとつ出会えたことは大きな喜び。しかし、この町……、何かが違うのです。漂う空気に格別なぬくもりを感じるのです。
 1枚1枚が大胆で個性的、それでいて町並み全体の統一感を醸し出している「のれん」のせいなのでしょうか。よく見ると、八百屋、雑貨屋、旅館、料理屋……、商店に加えて普通のお宅にまで斬新なのれんが、堂々とその家の「顔」として玄関を彩っているのです。「のれんの向こうがわには何があるのだろう?」好奇心をかき立てられながら、町を歩き「のれん」をくぐってみることにしました。


みんなでつくる町じゃけん〜
 昭和60年、岡山県から「町並み保存地区」の指定を受け、伝統的な町並みの保存整備を図るため、町が「町並み保存事業」を開始した。「自分たちが生まれ育った町じゃもん、自分らでもっとよぅしていこうや」集った人々が立ち上がったのは4年前。その名も「町並み保存事業を応援する会」。
 ここには100年以上も息づいているご先祖からの贈り物、「家」がある、町民が興奮に沸き男たちがぶつかり合い戯れる「祭」がある……。そして何よりも、人々が抱くこの地を愛する「心」がある。
 その心を通わせて、手作りの町おこしが始まりました。
 初めはほんの数人から。ムリはしない、自分たちが楽しもう、自分たちで作り上げよう、お客さんのためではなく自分たち自身のために……。
 仕事を終え、仲間が集っては酒を酌み交わし、熱く語り合いながら「のれんの町並み」は誕生したのです。メンバーの「自分たちの町は自分たちの手で」という姿勢は頑固なまでに一貫しています。
 町役場には後から協力してもらえればそれで十分だというのです。
天神祭りなど伝統的行事には毎年独自のイベントを繰り広げ、平成9年には空き家を7ヶ月かけて「無料休憩室」に改修、昨年は長い間眠っていた「つるべ井戸」も甦らせました。
 そこには、義務でもつきあいでもなく、手持ち弁当で力を合わせながら大人たちが本気で遊ぶ姿があったのです。
 2年前、会のメンバーが仕掛けて、仲間のひとり、草木染め織り作家・加納容子さんの作った16枚の「のれん」を軒先に掲げました。加納さんの、ひとつひとつをその人と建物だけに合わせて染め上げたのれんは大きな反響を呼び、年々広がって現在その数62軒。今や文字通りこの町並み保存地区の「のれん」(シンボル)となったのです。
 1枚1枚の「のれん」の向こう側には、土地と共に生きる人々の、勝山を愛する熱き思いと誇りが息づいていました。「この町は何かが違う」……そう感じたのは、こうして町を訪れ眺める私のために「作られた町」ではなく、人々の内側の想いがあふれた形が「のれん」となり、町並みとなっているからなのだと。


2000年 9月 6日



 その壱

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

ある居酒屋のおやじが、
『御前酒に行ってみたいんだよ。』と言った。
そのおやじは日帰りで良く蔵見学に行くらしい。
しかし、東京に住むそのおやじにとって
御前酒・勝山の日帰りは大変難しい。
(不可能では無いが楽しむことは出来ない。)

 ここ勝山は空気が澄み、水が美味しい。
東京に限らず都市から少し離れているからこそ、
今もなお昔ながらの酒造りができるのだ。
三浦藩の城下町だった頃の文化が今も感じられる町並み。
時代がハイスピードで流れ行く中、ちょっぴり足踏みをして残した風情、
勝山はそんな町だ。

『ご面倒ですが、1日お店を休む覚悟で御前酒に遊びに来て下さい。
そうすれば、勝山の良いところが沢山分かりますよ。』

忙しい現代人にとって、そういう時間こそが必要なのかも知れません。
このホームページをご覧の皆さまも、せめて画面を見ている時は
御前酒を味わいながら勝山の空気を感じ取ってお楽しみ下さい。


2000年 6月 1日


"GOZENSHU"
116 Katsuyama, Katsuyama-cho, Maniwa-gun, Okayama-ken Japan 717-0013
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