のれんの向こうがわバックナンバー


 その二十四

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

のれんギャラリー その3
 
〜保存地区の「のれん」を訪ねて〜

 空の青、山の緑が目に鮮やかな季節。風も、洗い上がりの木綿のようにからっと爽やかだ。いつものように、城下町の風情が残る古い町並みをぶらぶらと歩いてみた。 のれんが風にそよぎ、町を流れる用水のせせらぎに混じって、時折チリン…という、鈴のような涼しげな音が聞こえてくる。 ********************************************************

 保存地区にあたる旧街道筋は、端から端まで歩いてもせいぜい数百メートル。通りすがりには、いやがおうにも町の人と目が合う。人様の生活スペースに足を踏み入れてしまったようなちょっとした緊張感もまた、町歩きにはつきものだ。
 平日は観光客の姿はほとんどなく、道行く人といえば、店番に飽きてひまをもてあました旦那衆ぐらいのもの(失礼っ!)。かたやおかみさんたちは「うちのお父さん、またどっか行っちゃった」なんて言いつつ、困った様子もなく、店先でのんびりお客さんとおしゃべりに花を咲かせている。どっちにしても、あまり商売っ気があるようには見えない。わずらわしいものをぽーんとほうり投げるような、こののどかで楽観的な空気に、むしろ、たまらない懐かしさを感じてしまう。
 古い町家なんぞを借り、店先に売れても売れなくてもいいような小物を並べ、ひねもす一日を過ごすのもいいなあ…。昼間の保存地区を歩いていると、幾度となくそんな思いにとらわれるのである。

 今月は久々に、のれんに誘われ何件かのお店をたずねてみました。看板以上にのれんはその店の顔であり、そこに住まう人の暮らしや思いがぎゅっと形に詰まっています。見て、そして声をかけ、関わる楽しさを与えてくれる一枚ののれん。そんな「のれん」を通して、町の素顔が見えてきませんか?

長谷川時計店
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 保存地区に入ってまず一番にパッと目をひくブルーののれん。時計の文字盤をモチーフにしたモダンなデザインは、まさしくそのものずばりの商いを示している。 「普通は文字盤の数字って、まっすぐ立ってるんですよ。でも、ちょっとやわらかさを出したかったんで、ななめにしてもらったんです」。 なるほど、10、11、1、2という数字が中心に向かって傾いている。ちょっとしたことだけど、印象が違うものだ…。
 もともと隣の久世町で商売を営んでいた先代が勝山に移り住み看板をあげて50年。 現在は三代目のご主人、豊さんが店を守っている。最近の時計といえば、ほとんどがクオーツ。手巻き式の味わいや、精密機械のもつステータスもだんだんと薄らいできているような気がする。店の中の商品も、実際に動くのは時計よりもむしろ眼鏡や貴金属の方。商売自体も、そっちがメインになっているそうだ。
 年々町の人口は減り、普段の客足もさびしくなる一方。それでも、毎日きちんとネクタイを締め、日に何人かのお客さんを待つ。 「娘二人は、この町を出て今は総社と倉敷にいますよ。この店も私の代で終りじゃないですか」とご主人。さびしいですね、と言うと、「そんなこともないですよ、その方がかえって気楽だし…」。ガラスのショーケースの向こうから屈託のない笑顔が返ってきた。

ミヤジ仏具・印判店
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 日本人には馴染みの深い朱赤。はんこ屋さんといえば、まっさきに浮かぶのがこの色だ。はんこの○印をかたどり、中に一文字、見なれない記号のようなものが描かれている。
 「これは梵字(サンスクリット)で、キリークと読むんです。浄土宗などでは、この文字を位牌に刻むんですよ」とご主人。宗派によって決まりがあり、真言宗なら梵字の「ア」、日蓮宗なら「妙」といった一文字を戒名の前に入れるそうだ。ちなみに、キリークとは、阿弥陀如来のことらしい。
 それにしても、はんこと仏具という2つの業種を、ひとつの図案に合体させたアイデアは見事。この町を彩るのれんには、一枚一枚すべてに、そんな各家のご主人の思いと作者の発想が込められている。  
 仏壇、仏具、印鑑のサンプルなどがところせましと並ぶ店内は、かすかにお線香の香りが漂う。「いい匂いですね」というと、沈香や白檀、伽羅といった、高級なお香を見せてくださった。アロマブームで、西洋ハーブは大いにもてはやされているが、たまには先祖供養をかねて、東洋の高貴な香りに包まれて、心を落ちつけてみるのもいいかもしれない。

大前商店
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 八百屋さんというより、よろず屋さんといったレトロな風情。一般の食料品に加え、手作りのお惣菜など、あれこれ並んでいる。
 のれんは、モスグリーンの木綿地に「ししとう」の図柄。シブい野菜なのにどことなく愛嬌がある。
 「なぜ、ししとう?」の問いに、「ししとうって、甘いんや辛いんや混ざってるでしょ。食べ方によっていろんな味が楽しめるし…」。にこにこ顔で答えてくれたのは、勝山に嫁いで30年という吉子さん。主である澄江おばあちゃんを筆頭に、女性3人で切り盛りしているので、ししとうの数も3本。年齢も個性も違う3人のキャラクターと、「甘くて辛い」ししとうの味とが重なってみえる。
 毎年秋まつり(けんかだんじり)には、竹皮に包んだ自家製のさば寿司をこしらえる。ちなみに、さば寿司は勝山を代表する郷土料理のひとつ。そのおいしさは地元でも評判で、店に並べるとすぐに売り切れてしまうらしい。 「お酢は京都の千鳥酢。みりんは三州三河みりん。調味料は本物を使わないと、おいしいさば寿司にはならないからね」と吉子さん。こだわるところはきちんと押さえる。 こんなところに、ピリっとした「ししとう」の意気が効いている。  

 2002年6月1日



 その二十三

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古い町家がモダンなギャラリーに
 
〜勝山の古民家再生の動き〜

 白壁の土蔵と連子格子の商家…。勝山の旧出雲街道沿いには、昭和60年に指定された「町並み保存地区」がある。  
 江戸時代から続く旧家と並んで、昭和に入ってから建てられたこぢんまりとした民家も多くみられ、昔ながらのそんな町家建築をウオッチングして歩くのはなんとも楽しいもの。一軒一軒、建物を介して「暮らしぶり」が見え隠れする。
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 ここ最近、勝山では、古い空き家を店舗として貸し出したり、町家を改修して飲食店やギャラリーに再利用する動きがにわかに高まっている。  
 実際には、町が買い取って入居者の公募を行っている物件や、町民が大家さんとの個人的なつながりで斡旋しているものなどケースもさまざま。  
 古い建物がどんな風に生まれ変わり利用されているのか、自分たちの手で一から修復して新しく店を営業しているご夫婦がいると聞いてたずねてみた。

 4月にオープンしたばかりというギャラリー「野田屋」。真新しい格子戸のたたずまいは、まさに町家の風情そのものだ。  
 迎えてくださったのは、オーナーの野田佳興子さん。 「ここは、もともとは大庄屋さんの持ち家だったらしいですけど、持ち主がいろいろと代わって、空き家になる前は洋装品店やったみたいです。築100年は超えてるのと違うかな」。
 やわらかな関西弁とチャーミングな笑顔がとても印象的。聞けば京都府伏見のご出身とか。  
 店内は、モノトーンの器や、インドネシアのアンティーク織物、更紗のスカーフ、小さな盆栽などが、センスよくディスプレイされ落ち着いた雰囲気。手仕事や伝統といったものが醸し出すあたたかみが、古民芸のような天井や壁、そして新しい木肌と見事に調和している。  

 野田さん夫妻が岡山に越してきたのは3年前。こことは別の県北鏡野町に自宅を構えており、家族3人、馬とともに贅沢な(!)田舎暮らしを営んでいる。以前コンピュータの仕事に就いていたというご主人は、現在、腕一本の数寄屋大工として独立。一方、佳興子さんは漆塗りの仕事を手がけている。いわば、ふたりとも「木」と関わる職人さんである。  

 空き家の話は、勝山在住ののれん作家、加納容子さんと以前から知り合いだったこともあり、たまたま用があって訪ねた時にもちかけられたそうだ。
 築100年の町家という建物の魅力もあって入居。ものづくりの仲間達の作品を展示するほか、木造建築、創作家具を請け負うご主人の工房「玄」の拠点も兼ねている。  

 昨年の9月から、オープンまでに費やした歳月は7ヶ月。鏡野町の自宅とここを往復し、本職であるご主人がこつこつと手を入れてきた。
 入り口のアルミサッシやパイプをすべてとりはずし、壁のベニアをはがし、建物を当時の「原型」に戻すところから作業はスタート。一つ一つ建具をめくっていくうちに、かつての「住まい」の面影があちこち顔をのぞかせてくる。土間の壁から現れてきたのは、いい朽ち加減のムクの板。二階和室の床の間の壁もめくってみると、中は丁寧に和紙が施されていた。
  「水拭きすると、ベニアだと表面がもろもろになるけど、ムクの木はどんなに古くなっても、朽ちても、木目がいつまでもきれいに残るの。さっと水拭きするだけで表情もでる。うるしにしても木にしても、そういうものを美しいと感じる感覚っていうのは、昔の人も今の人も変わらず持ってるんと違うかな…」と佳興子さん。  

 いわゆる天然のいい素材には何年たとうと見劣りしない、えも言えぬ風格がある。「100年前の職人さんたちが手がけた場所を、自分たちも今同じように触らせてもらってる…、そう考えるだけでも楽しい作業でした」と佳興子さんは話してくれた。とりわけご主人にとっては、思い入れのある京都の町家とオーバーラップして、嬉々とするところも多かったという。
 夕涼みに腰を下ろせる折り畳み式の縁台(揚げ見世)も、ご主人が新たに取り付けたもの。こんなところにも細やかなこだわりが感じられる。  

 古い木造建築も、その良さを理解し、伝統の技をきちんと身につけた職人さんが改修すると、見違えるように生まれ変わる。家の中を一通り拝見させてもらい、日本の住まいの美しさを再発見させてもらった気がした。  
 
 「同じ古民家を再生するにしても、もともとのスタイルをまったく無視してつくり替えるのではなくて、その建物がどういうものだったかを考えてやってほしいんです」と話すのは、町が募集する入居者の選考委員のひとり、御前酒蔵元の辻均一郎さん。 町全体のたたずまいを維持しながら、きらっと光るものに再生していくには、調和や美しさの本質を見極める「目」が必要だ。  
 
 もともと勝山は、古くから木材のまちとしても知られる。町の総面積の85%を山林が占め、西日本屈指の木材集散地として発展してきた。今でも家具や家屋といった産業とは密接な関わり合いをもつ。
 現在、町並み委員会では、さまざまな計画の中に、左官や大工などが参加できる職人塾を設け、昔ながらの棟梁の知恵と技を踏襲するプロ集団を養成しようという案も検討されている。
 町家の修復に連動すれば、町並みにもさらに磨きがかかるに違いない。昔ながらの大工職人の槌音が響く…、そんな粋な光景を想像するだけでも今から胸が躍るというものだ。

   







 2002年5月1日



 その二十二

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春を告げる暮らしの催事
 
〜「勝山のお雛まつり」〜

 桃の枝に小さなつぼみを見つけると、寒さにちじこまった体はようやくほぐれ、気持ちもこころなしかあたたくなる。あちらこちらに春の兆しが訪れ、大きく伸びをするようにすべてのものが動き出す…。
 冬から春への変わり目というのは、なんともいえず劇的だ。
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 春は勝山の人たちにとっても心弾む特別な季節。毎年3月に行なわれる「勝山のお雛まつり」で、町は一気に春めく。
 江戸時代の面影を残す静かな町も、お雛まつりの期間中だけは別格。今年で4回目を数え、5日間でおよそ3万人もの人出で賑わう。
 古い商家の軒先や玄関先で、江戸時代の貴重なものから、手作りのかわいらしいものまで、各家それぞれに自慢のお雛さまを公開し、見物客の目を楽しませてくれる。町の人たちのあたたかなもてなしもまたたくまに話題になり、今では、テレビや新聞がこぞって報道するほどの人気ぶりだ。

 3月1日から始まるお雛祭りの前日、ひと足先に勝山の町を訪ねてみた。
 会場となるのは、町並み保存地区と新町商店街。120軒もの商店やお宅がすでに飾りつけを終え、明日からの本番にそなえている。実は、この日は町の人のための前夜祭。近所の人たちのために、どの家も間口を解放してくれている。

 保存地区には、100年以上続く旧家も珍しくなく、代々のひな人形をずらっと並べているお宅もある。明治初期、あるいは江戸時代にまでさかのぼって、あちらこちらで古色蒼然とした伝統の美しさに出会う。
 おひな様の顔立ちも実にさまざま。最も古い時代のものは、引き目かぎ鼻のぽっちゃりしたお顔。これはまさに絵巻ものの世界。少し時代が後になると、うりざね顔に切れ長の目元。平成のおひな様はさすがにあごが細く、目元もこころなしかぱっちりと現代風。
 その時代の「美人像」をくっきりと物語っているようで、その移り変わりがしのばれる。娘の美しい成長を願う気持ちはいつの世も同じ。樟脳の匂いがかすかにただよう空気の中でおひな様を見つめていると、子どもの頃の記憶と交錯し、なんだかタイムスリップしたような不思議な感覚に陥いってしまった。

 ぶらーっと歩いていると、「よかったらうちのを見ていって…」とわざわざ声をかけてくださる方がいた。こういうの、うれしいなぁ。
「今年は、天神様も出してみたんですよ」
とその家の奥さん。
 玄関の間をのぞかせていただくと、ひな人形の奥に、勺を持った内裏様が単独で並んでいる。時代も古そうだ。
 聞くところによると、この天神様は男の子の初節句に用いられる祝いびななのだそうだ。ここ勝山では、こいのぼりと天神様で、男児のすこやかな成長を願うのが古くからの風習だという。実際に、天神様だけを飾って見せるお宅も多い。内飾りに鎧や兜ではなく菅原道真公をまつるというのは、学問を重んじる勝山人の気風にもよるものだろうか。
 各家々、手のこんだコーディネートにも目を見張る。庚辛(お猿)さんのクラフトや、生け花、水彩画などなど、趣味とセンスを発揮し、思い思いにひな祭りを表現している。日本の伝統的な美しさと、遊び心があちらこちらにちりばめられていて、本当に見ていて飽きない。迎えてくださるおかみさんたちの顔にも、得意そうな笑みがこぼれる。

 夕方6時になると、通りにぽつぽつと小さな灯りがともりはじめる。前夜祭だけの特別の趣向らしい。竹の中に水をはり、その中にろうそくを浮かべたり、和紙をつかってあんどんを仕立てたりと、ここでも演出にひと工夫。しっとりとした町並みにいっそうの風情がただよう。
「期間中は、たくさんの観光客の方が来られるので、自分達はお雛さまを見て歩けない。それで町の人に楽しんでもらうために前夜祭を行なっているんです。ろうそくの灯りによるライトアップは昨年から始めたんですがこれが意外に好評で」と実行委員長の行藤さん。

 季節を彩る感受性と、生活の中から生まれるちょっとした粋な遊び心。そして自分達の町に対するあふれるような誇りと愛着。
勝山の人たちの根底にあるそれらすべてのものが、訪れる人の心に忘れかけていた豊かさや懐かしさを思いださせてくれる。
 母から娘へ…。女性なら誰もが大切な思い出として心に仕舞うひなまつりの風景。受け継がれていく宝物が、この町には今も確かに息づいている。
2002年4月1日



 その二十一

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地酒の伝統と技を伝える試み
 
〜岡山の杜氏がつくる純米酒〜

 日本全国、いいお酒はいろいろあれど、お気に入りの蔵を旅し、酒造りに携わる人たちの思いや蔵の風景を実際に肌で感じながら、じっくりと腰をすえて飲むのは楽しいものだ。ただ単に美味しさを味わう以上に、感慨深いものがある。
 そう考えると、やはり思いは「地酒」にたどり着く。郷土に対する愛着も膨らみ、酒に合わせる料理も身近な食材でけっこうキマル。それが楽しい。
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 岡山県は、古くから全国有数の酒どころとして知られ、以前は兵庫県に次いで蔵の数が多かった。にもかかわらず、大手メーカーへの桶売りの風習が長く続いていたせいか、県産酒の地元での消費率は、3割から4割程度。お隣の広島県などに比べるとすこぶる低い。岡山の酒は、地元よりもむしろ、東京など県外の愛好者の間での評価が高いのだ。
 ひとつひとつを見ると、実に個性的な蔵が多いのに、地元での認知度が薄いというのは、なんとも心寂しいものがある。  

 そんな現実を憂いてか、今、岡山の酒造業界は、新たな試みに取り組んでいる。その名も「岡山の杜氏がつくる純米酒」。 県内の杜氏たちが、一緒になって一つの酒をつくるというこの企画は、「蔵同士が流派を超えて技術交流をはかり、若い技術者たちに酒造りの精神や技を伝えていこう」 と、昨年、御前酒の辻社長が会長をつとめる「県醸会」の呼びかけで始まったもの。 県産酒の再生戦略として、岡山の酒の良さを改めて見直し、レベルアップを図る意味も込められている。

 今回、2日間にわたって行なわれた仕込みと交流会には、県内17の造り酒屋から、 経営者を含め32名の参加者たちが集まった。備中杜氏のリーダー格でもあり、岡山の酒造界を代表する名工、御前酒の原田杜氏を筆頭に、ベテランの南部杜氏、但馬杜氏が顔を揃え、ひとつの蔵の中で純米酒の仕込みに励むのである。

 私が蔵を訪ねた時は、ちょうど最後の「留め仕込み」が行なわれ、「掛け米」をタ ンクに入れる作業が一段落ついたところだった。それぞれの蔵の半被を着た参加者たちが順番にタンクに上がって櫂入れをする。

 普段、口を聞くこともなかなかできない名杜氏のもとに駆け寄り、質問をぶつける 若い蔵人の姿も印象的だった。
「とても刺激になりました。杜氏さんたちの気迫というか熱い思いが伝わってきて、自分たちも負けられないと、特に若い世代は誰もが感じたと思います」と、20代の女性蔵人のひとりは話してくれた。

 「酒屋萬流」という言葉もあるように、酒造りには、その蔵独自に培われてきた伝統がある。原料はもちろんのこと、使う道具や機械ひとつをとってみてもそこには意味があり、何でつくるかによって酒質の設計法も微妙に異なるのである。
 本来頑固な職人同士が互いの技を見せあうなどということは、いままでならとても考えられなかったことだろう。それぞれのつくり手が、しっかりとした価値観と自信を持っていなければできないことなのだ。

 さて、日本酒の原料となる米は、地方によってさまざまな品種が使われるが、岡山の地酒を語るに忘れてはならないのが、かつて「幻の米」ともうたわれた「雄町米」である。ルーツは古く、江戸時代、岡山県在住の岸本甚造という人が稲をみつけて改良したものと伝えられる。現在使われている酒造好適米の多くが、この雄町の子孫。心白が大きく、しっかりとした味を醸し出すことから、山田錦と並ぶ酒米の王様として人気なのだ。

 ただ、雄町は栽培が難しく作付面積も少ないので、普通の米よりも値段が高い。そのため、雄町米発祥の地、岡山でさえ、この米を100%つかって酒をつくることのできる蔵はまだまだ少ないのが現実だ。さらに、醸造の面でも、使い慣れた職人でなければ、雄町の特性を引き出すのはなかなか難しいらしい。

 味わいはというと、山田錦を「華やかでスマートな都会美人」とすると、雄町は 「健康的ですっぴん」の魅力がある。 どちらもお酒になるために生まれてきた米なのに、その美質は異なる。「雄町は、60〜65%ぐらいの精白歩合にして、本来もっている米の旨味をぐんと引き出すのがいい」と御前酒の辻社長。
 味があり、それでいてくどくない。芯がしっかりしているのに、ほっとやすらぐ魅力があるのが雄町の持ち味だ。
 個人的には、この雄町の、一度飲んだら忘れられない感動を、もっと多くの人に味わってもらいたい。ついでに言うと、雄町の味わいを通じて、純米酒の奥の深さを再発見してもらえるのではなかろうか。

 良質な酒を求め続ける蔵人たちの姿勢がそのまま形になった、本物の岡山の酒。秋頃にはできあがり、雄町米100%の純米酒として販売される予定だという。この機会にぜひ、岡山の酒の底力(!?)をとくとご堪能あれ、と心を込めて申し上げたい。

2002年3月1日




 その二十

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

蔵の年中行事 その1
 
〜酒造りの無事と成功を祈る「お釜まつり」〜

 暮れの餅つきから10日ほどたった明けの5日、再び勝山を訪れてみると、蔵はすっかりお正月の顔になっていた。門の両脇には門松が置かれ、縁起ものの角樽を染め抜いたのれんに、シンプルな注連縄が施されている。
 以前は、蔵に正月休みはなかったというが、最近では短い休みがとられるようになった。とはいえ、今は酒造りの最盛期。熟成途中のもろみからも目が離せない。杜氏さんや蔵人にとっては、お正月といえども気の休まらない時期である。

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 「お釜まつり」は、寒造りの真っ最中に行なわれる年中行事のひとつである。酒造りの要を担うとされる釜を祀ることからこの名で呼ばれ、蔵元、杜氏、蔵人たち一同揃って、美味しいお酒ができますようにと、造りの安全成就を祈願する。古くは旧暦の11月27日と定められていたこの風習は、この蔵の創業以来の伝統として受け継がれ、近年では、毎年正月明けの5日にとり行なわれている。

 普通、酒蔵では、毎年秋にその年の酒造りがスタートする。本醸造などを手始めに、純米酒、吟醸酒へと進み、年が明けるといよいよ大吟醸酒の造りが始まる。ここを山場として、あるいは春になって造りを終えた後も、蔵によってさまざまな行事や作業が行なわれるのだ。
 もっとも、最近では機械化が進み、「四季醸造」といって、年間を通じて酒造りを行なう蔵も珍しくない。酒造りの現場も、時代とともに、様がわりを余儀なくされている。けれどそんな中にあって、昔ながらの伝統を忠実に守り抜く蔵もある。文化的な役割ははかり知れず、それだけにそれを支えていく人たちの思いはひとしおだ。蔵の通路の壁にずらっと掛けられた数々の清酒鑑評会入賞の額が、その風格と歴史を物語っているかのようだ。

 さて、仕込み場をのぞいてみると、あかりのついた事務所とはうってかわって、人気もなく静まり返っている。これから始まる神事のせいか、あたりには厳粛な空気がたちこめていた。
 入り口にある釜場にはすでに小さなろうそくのあかりがともされていた。釜の上には三つの三方が置かれ、その上に、鏡餅、米、鯣(するめ)が各々盛られている。それにしても寒い。外の空気がものうげなのは、吹き荒れたみぞれのせいだろう。町はあっというまに雪化粧に変わっている。
 5時を過ぎ、あたりが暗くなるといっそう寒さも増してくる。身震いしそうな冷気が足下からじわじわと伝わってくるようだ。

 ぴーんと張りつめた緊張感が漂う中、神主さんの祝詞があげられる。裏庭には酒の神様である「まつのぉさん」(松尾大社)の祠があり、ここをはじめとして、仕込み場、貯蔵庫など、蔵内の要所要所をお祓いをして回る。
 釜の下は、人ひとり入るほどの空間に焚き口があり、全身白装束で支度を整えた当主が、ここで火入れの儀式を行なう。その後、杜氏、蔵人、従業員全員で、さきほどの要所で題目を唱えながら蔵内を三回練り歩くのが習わしだ。

 もともと、酒造りは古来から神事と密接に結びついているようだ。考えてみると、民間の慶弔事には必ず酒がつきものである。正月の餅を割る「鏡開き」と同様、樽の蓋を開いて酒をふるまう「鏡割り」も、ともに新たな出発や区切りに際し、健康や幸福などを祈願しその成就を願うものだ。
 そして、酒造りの傍らには、いつも松尾さまがいる。形は違えども、杉玉同様どこの蔵でも必ず祀られている酒の神様である。目にみえない微生物の不思議な営みといい、職人たちの技の妙といい、そこにはなんらかの神業がはたらいているのではと思えるくらい、酒造りは奥が深い。
 酒が常に人と人との関係を深く結びつけてくれるのも、そこに神が媒体として存在しているからかもしれない。

  「お釜まつり」の儀式が終ると、その夜は従業員や蔵人たちのための酒宴が設けられる。蔵元いわく、毎年この日は無礼講で盛り上がるのだそうだ。蔵人同士の和をはかり、再び始まる寒さの中での重労働に向け、心をひとつにする意味もあるのだろう。酒を酌み交わし、和気あいあいとにぎやかな雰囲気の中で、夜が更けていく。
 そして、なにひとつおろそかにできない緻密な作業、大吟醸酒の仕込みも佳境に入る。松の内が明けると、ますます蔵の中は活気に満ちていく。

2002年2月1日



 その十九

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酒蔵の風習を今に伝える風物詩
 
〜正月を迎える暮れの・餅つき・〜

 2001年も残すところあと一週間となった師走の日曜日。例年なら、雪が降ってもおかしくないこの時期、勝山はこの日朝から快晴に恵まれ、まぶしいほどの陽射しに包まれていた。澄み渡った冬空に、酒蔵の煙突から仕込みの湯気が立ちのぼる。米を蒸すかすかな甘い香りが風にのって運ばれてくる。冬至を過ぎると、酒造りはいよいよ最盛期を迎える。米袋を崩れ落ちそうなほどにどっさりと積み込んだトラックが蔵の通用門へと入っていく。

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 保存地区の一角にある西蔵の前では、御前酒の蔵元をはじめ、社員の人たちや町内の有志20人ほどが集まって、正月に食べる自家用の餅つきの準備にとりかかっていた。来る途中、商店街の入り口で見たクリスマスツリーとは対照的に、こちらはもうすっかり年の瀬の様相である。

 創業二百年の伝統を誇るここ御前酒の蔵では、かつては住み込みの蔵人達が大勢いたため、暮れになると男衆が総出で餠をつくのが習わしだったそうだ。こさえる餅も今よりも多かった分、町の風物詩として、ずいぶんと活況を呈していたらしい。その頃の威勢のいい光景を、今でも当主や町の人たちは懐かしく語る。 「子ども心にも覚えてますよ。6人がかりで石臼を囲み、一気につきあげていく。これがすごかった…」。 近年になって、正月に里帰りする蔵人が増えたことから一時はその風習がとだえたものの、最近になって復活し、ここ数年は暮れの24日ごろに毎年行なわれているのだ。

 さて、この日つくのはもち米約一俵(60kg)。蒸し上がったニ升ずつの米を、男衆が交代で杵を振るう。どんな力自慢でもビクリともしそうにない堂々たる石臼は、この蔵に代々受け継がれてきたものだろう。 「それっ」 「よっ」 「まだか」 「まだまだ」 かけ声でリズムをつくるも、これがなかなかの体力勝負。それでも毎年のこととあってチームワークも抜群だ。つきあがった餅は、おかみさん連中がすばやく受け取り、小餅やあん餅、のし餅などにこさえていく。かわいらしいエプロンに三角巾で身じたくした子どもたちもお手伝いに参加。ダウンジャケットを脱いで、さっそく私も腕まくりをして加わらせてもらった。  

 蒸籠(せいろ)から立ち上る湯気とあたたかな日射しの中で、杵をつく男衆と餅とりのおかみさんたちの共同作業が続く。餅をつく家が年々減っていく中、こうして近所の人たちが仲良く集い、ハレの日の準備を進める様子は、実にのどかでほほえましい。  

 蔵見学に訪れた観光客たちも、そんな珍しい光景に誘われるように、次々に足をとめてのぞきこむ。ふるまい餅ではないにもかかわらず、中には豆餅のあんこ入りをちょうだい!などと言い出す奥様もいたりするからおかしい。そんなわがままな(?!)注文にもおかみさんたちは嫌な顔ひとつもせずに、はいはいと面倒見よく応じている。それどころか、そんな彼女たちの顔色を察しては、「おひとつどうぞ」と気さくに声をかけていく。

  「おいしいわねー」と、ぬくぬくを頬ばりながらどの顔も満面の笑み。 「おいしいでしょう、つきたてだからね、こっちの方もどうぞ…。」 「ありがとう、ごちそうさま」。 おいしいものは、やっぱりみんなで分かち合うのがスジってぇもんなのだ。  

 正午を過ぎ、予定の分量がだいたいつき終わろうかという頃、おかみさんたちがすみやかに人数分のお椀を用意し始めた。どうやらとっておきのごちそうがあるらしい。これからがお楽しみなのよ、とばかりに、椀の中に醤油とねぎ、それにたっぷりの大根おろしを注ぎわける。  

 毎年もちつきの最後は、お疲れさまを兼ねてみんなで・からみ餅・(&酒)を食すのが通例らしく、これが実にお目当になるくらい「うまいもの」だというのだ。お湯をはった大鍋に、どぶんと移された餅はさながら湯豆腐のよう。これをお玉ですくって、腕の中で大根おろしをからめて食べる。コシがあるのになめらかでとろけるような食感。手搗きで、しかもつきたてでなければ絶対に味わえないこたえられないおいしさである。勝山の人は、なんでいつもこうおいしいものを知っているのだろう、とまたしても感動。お腹にやさしくいくらでも食べられるのは、作り手の顔がみえる安心感と出来たてのなせる技だろう。ほんの少しのお手伝いながら、おいしいご褒美までをちょうだいし、小春日和の午前中、気持ちのいい師走の休日を満喫することができた。 ♪もー、いーくつ寝るとーお正月♪ 家の中がちょっとづつきれいになり、米びつのお米がいつもの倍になる…。そんな子どもの頃のわくわくするような年末の記憶がなぜかふと蘇ってきた。

 ちなみに岡山県北、勝山地方のお正月のお雑煮は、丸餅に塩締めにした鰤(ぶり)を茹でて入れるのが特徴。あとはほうれんそう、にんじんなどをあしらい、おすましもしくは、味噌仕立てでいただくのだそうだ。一般的に鰤を焼いておすましに入れる岡山県南のお雑煮にくらべて上品な感じがして、いかにもこの地方の風土を物語っているように思う。

 編集後記

 平成13年の2月から、この連載を担当させていただくことになって早や1年。 かわら版「のれんの向こうがわ」は今年の5月にリニューアルし、創刊から数え今月で19号目を迎えます。 今日はどんな風景や人に出会えるかな、そんな思いで毎月勝山を訪れ、そこに暮す人たちの生活のひとこまを、手探りで紹介してきたわけですが、実は生来の人見知りもあって、今だに緊張の連続(!)。とはいえ、この間少しずつですが、顔見知りも増え、町の人から声をかけられたりと、うれしい手ごたえも感じられるようになりました。 今年も、勝山の催事や酒造りの現場、そこに住む人たちの暮しぶりなどを、レポートしていけたらと思っています。また一年、よろしくお願いいたします。
2002年1月1日



"GOZENSHU"
116 Katsuyama, Katsuyama-cho, Maniwa-gun, Okayama-ken Japan 717-0013
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