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ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題・蔵人のないしょ話・蔵からのメッセージなど、エッセイ風に皆様にお届けしていきます。
その五十ニ(2004年10月1日)

「勝山はね、なにかわからないエネルギーがあって人を惹きつける町だったよね」。
公私ともに勝山とは長いつきあい、という太田民雄さん(現岡山県立大学デザイン学部教授)は、勝山との縁をそんな風に振り返る。
 太田さんは、来年、町の文化発信拠点(ミュージアム&ホール)として生まれかわるしょうゆ蔵の図面を手がけた建築家。勝山のシンボル的存在「勝山木材ふれあい会館」(昭和62年完成。釘を使わないかんざし工法の実用第一号として注目された画期的木造建築)の設計を手がけたのをきっかけに、今日までこの町と関わり人との親交を深めてきた。

「あのころ7時間かけても東京からここに来るのが楽しかった」と感じたほどの魅力、しょうゆ蔵のことや、建築家の目から見た暮らしに沿った古民家再生やデザインのあり方…などなど、太田さんとは旧知の友である加納容子さんの工房におじゃまして、お話とお二人のやりとりに耳を傾けてみました。



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戸惑うほどのもてなしと
町を変えるデザインの力
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  太田さんと勝山との最初の出会いは20年前にさかのぼる。東京の設計事務所の番頭役として多忙な毎日を送っていた頃、事務所に一本の仕事が舞い込んだ。木材のよさをアピールした木造施設を設計してほしいという岡山県勝山からの依頼である。そのころ木造建築は今のようにあまり注目されてはおらず、その上、コンペという条件は、その事務所では異例中の異例。
「それでも所長から、熱意のある3人の若者がぜひ応募してほしいと頼んできているから、お前やってみろって言われて(笑)」。ちなみに、その時の3人のうちの一人、中島浩一郎さんは、町並み委員会の主要メンバー。古くから木材集散地として栄えた勝山の地場産業への思いと、町に対する愛着は並々ならぬものがあった。

 最終的に太田さんの図面に決まり、以後勝山を行き来するようになったものの、待ち受けていたのは、仕事を超えた男達の気さくなもてなしだった。「さんざん飲んだあげく夜中にここ(加納さん宅)に連れてこられてね。人のうちなのに、みんなが自分のうちみたいに上がれ上がれっていう。いちおう良識人として躊躇しましたよ(笑)。でも、そこで映画の話や本の話やとにかくいろんな話題が広がり、いきなりにして話があってね、東京にいてもなかなかこういう話ができる人間はいなかったのに、ここに来て開けたっていうか、仕事として町と関わるよりもむしろ、僕にとっては人だったんだなあ…」。

 勝山に対する驚きはそのあとも続き、親しく訪れるようになって7年めのこと。太田さんにとってセンセーショナルな出来事が起きる。それが「町並み保存事業を応援する会」の呼びかけではじまった加納さんの「のれん」だ。一枚また一枚とその数が増えるにつれ、町の印象は劇的に変わった。
「建築で町を変えようとすると生活感がでてこないんだよね。のれんは古い町家も比較的新しい商店も選ばない。そこにのれんがかかるだけで町に一体感がでてくる。デザインで町がこれほど変わるなんて、実にすごいことだと思いましたね」。


▲12年前に東京から岡山に。その時、2カ所から大学の誘いを受けたが、勝山との縁で迷わず岡山に決めた。
「デザイナーというのは、芸術家と違って楽しさを見つけだす能力がなくちゃいけない。食べることは、楽しさの最たるもの。だから毎年学生を連れて、ここの西蔵にお昼ごはんを食べにくるんです」。

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古い建物をただ残すのではなく
はじめに「人ありき」
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 保存地区には加納さんの工房兼住まいのように100年あるいは200年近く経つ建物も珍しくない。住み続けるためには、相当の知恵や工夫が必要だが、時に住まい手の技だけではどうにもならないことがある。プロである太田さんは、加納さんの住まいを見た瞬間に、「いつ壊れてもおかしくない」と思ったそうだ。
 3年前、加納さんは意を決して修復を依頼。蓋を開けてみたら案の定、柱は傷み老朽をきわめていた。地元の腕利き棟梁でさえも倒壊の恐怖を感じるほどの有様だったという。
「だからね、古いものならなんでもいいわけじゃない。ただ残せばいいのではなくて、忘れちゃいけないことは常に人間が先にありきなんだということ。人が元気に楽しく暮らすために、じゃあ建物をどう生かすか、そこから考えることが大切なんだよね」。

 その考え方を、太田さんは自ら「動態保存」と呼ぶことにしている。最初からこうだと決めつけないで、ゆるやかに動いている状態のまま保存していくやり方。愛着のある道具と同様、建物にはそこに住む人の思いが宿る。

 しょうゆ蔵は、町の人にとってもとりわけ思い入れのある場所だ。
「あの塀の横を通って毎日小学校に通ったなんて話を聞けば聞くほど、建物そのものが町の人の生活と深く関わってるんだなと感じましたね」。
 建築家としてそんな思いを汲みとり、「外観は町の人のために残し、内側は使いやすいようにこっち(建築家としての自分)に預けてもらう」ことで図面を作成。古材をできるだけ活用し、屋根の瓦はいったん下ろしゆがみや欠けのあるものを除き、残りはそのまま上げて使う。そして、任された内部に関しては、ある程度多目的にそして「モダンであること」を意識した。


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瓦の色にも町の個性が
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「勝山ならではの瓦の色っていうのがあってね。一枚一枚色が違うんですよ。だから私たちなんて、学校で町の絵を描く時、屋根全体を一色に塗ることが出来なくて瓦一枚一枚違えて色を塗らなきゃいけないから大変だったの」と加納さん。
 対岸から町並み全体を眺めると、そのことがよくわかる。複雑な茶色のまだらは、雀の羽色のようでもあり、うずらの玉子の模様のようでもあり、重厚な黒瓦にはない独特の明るさがある。そんな色彩もこの町ならではの美しい個性だ。
 実は、太田さん自身、京都で設計を手がけたとき、瓦の色が均一なのが気に入らず、炭を使って一枚一枚濃淡をつけた経験がある。屋根瓦に微妙なグラデーションがあった方が、年月を経て味がでると考えたからだ。
「うれしいでしょ。そういう話を聞くと。だから、どんな考えをお持ちなのか、人となりが大切なんですよね。なにも言わなくても、瓦一枚で表情が変わることを知ってくださるわけだから。よかったーって思います」。
 施主(町や住民)と建築家という関係以前に、同じ価値観を共有する仲間としての意識がしっかりと根底にある。お二人のそんな会話を聞いていると、町づくりは長い時間をかけ、人との出会いを重ねていくことで豊かになるんだとしみじみ思う。飲んで語って楽しいことを心に描きながら、焦ることなく風を待つ。そんな中で勝山らしさは実に具合よく熟成されていくのである。

 しょうゆ蔵の保存調査には、建築科の大学生や院生も多く関わった。この経験を機に町づくりという研究課題に本気で取り組むようになった学生もいるという。勝山という町を通して何かを学び、そこからさまざまな生き方を選択して若者が巣立っていくとしたら、それはまた別のところで新しいなにかが生み出されるきっかけにもなる。町民の税金を使っている以上、公の施設にはなんらかの「評価」がされてしかるべき。けれど、目に見える単純な貨幣経済だけにとらわれるのでななく、そんな目に見えない生産性にもスポットを当てる必要があるのではとお二人。たくさんのプロセスを踏めば踏むほど、可能性はどんどん膨らんでいく。それが関わる人すべてに活気と元気を与える、もうひとつの益となる。



▲「京都の桂離宮ってとこは、壁の意匠とかふすまの意匠とかをみたらとてもモダンなわけ。クラシックな部分とモダンが混在してるんです。もし、モダンっていう概念を結論づけるとしたらいろいろなことがあるけれど、内省する美術じゃないかと僕は思うんだよね。自分はこうなんだという、独自のアイデンティティーみたいなもの。のれんも、加納さんという作者のフィルターを通して処理されているでしょ。」
洗練されていながら、はっと惹きつけられるような新鮮さや面白さ。モダンなものには、そこに居る人に特別なにかを感じさせてくれる力がある。





2004年10月1日


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